荘川桜  岐阜県高山市荘川町

40364e7d39be8bd598245ff5afdd764f
笹部氏指導のもとに行われた移植工事は、世界的にも例がないと言われるほどの大がかりなものであったうえ、樹齢400年以上という老齢とその巨体、さらに「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」と言われるほど外傷に脆弱な桜を移植することもあり工事は困難を極めたそうです。可能な限り、枝や根を落とした桜をダム水面上となる丘まで運搬し、移植したが、無骨な幹だけの姿は無惨な姿にも見えたため、当時、笹部氏や高碕氏には水没地住民や世間から「むごい仕打ち」「いずれ水没するのに追い打ちをしなくても」などと非難が集中したそうです。

be360f63a45db659e98026958ed9604d
しかし笹部氏の目算通り、翌1961年春、桜の活着を確認できました。
1962年6月に行われた水没記念碑除幕式で当時の藤井崇冶電源開発総裁により
「荘川桜」と命名されました。
移植以降、同社の継続した保守管理もあり年々枝葉を伸ばし続け、現在はかってのように美しい花を咲かせています。
21cdfc91e7e34c5b01dd5233a96cd9b4
荘川桜の咲く御母衣湖湖畔には当時の移植の様子を伝える写真も掲示されており難工事だった様子がうかがえます。

桜を救おうと決めた高碕氏の桜に対する想いをこめた句も掲示されていますのでご紹介します。

ふるさとは 水底となりつ うつし来し
この老桜 咲けとこしえに